普通の日常の一般的な毎日

29歳の暮らしなど

毎日マクドナルドのことを考えている

朝起きて支度したり家を出る頃に「今日こそマクドナルドを食べよう、食べたい!」という強い意志が現れる。

 

ポテトはもちろんLサイズ。できればLサイズを2つ食べたい。あれは美味しすぎる…へその緒から摂取してたのか?てくらい抗えない旨味。肝心のバーガーは悩むけどダブルチーズバーガー。ピクルス多めで、と伝えるとレジの外国人のお姉さんがわかってるね、みたいな顔してくれる。"ダブルチーズ"と言いつつも重すぎなくてペロっと食べられるところがいい。

 

こんなに大好きなマクドナルド。迎え撃つ私もベストな状態を整えて食べたい。イートインならすぐ食べられる。でも店はざわざわしている。優しい価格設定が仇になっている…痛し痒しである。テイクアウトするか?いやポテトが冷める。この前なんて冷めていくポテトを見過ごせずに、帰り道で食べ切ってしまったじゃないか。落ち着いて味わいたいのに。

 

今日も結局、スーパーに寄って帰って自炊コースだ。毎日それの繰り返し。マクドナルドを食べたい、その強い気持ちに追いつかない私の住環境(というほどでもないけど)。今日もポテトが歯に挟まったように歯がゆい。

キッチンが好きだ。

 

都内の1Kのキッチンなんて高が知れている。横幅1メートルの右半分がコンロ、左半分が流しになっていて、その狭さを縫って調味料や洗い物カゴを配置している。コンロを背にすると冷蔵庫と洗濯機がある。洗濯機はフタをしめておいて、切った野菜を置き、炊いたご飯を冷凍前に冷まし、ケトルでお湯を沸かす場所に丁度いい。存在はアンマッチだけど、役割を果たしてキッチンに馴染んでいる。

 

流し下の収納はがらんどうだったので、機能性を持たせる必要があった。棚を入れて、カゴを入れて、そしてようやく鍋やらザルやら食器やらを仕舞った。引っ越してから少しずつ、買い足して配置し直して今のキッチンがある。

 

どこの家の作りもそうだと思うが、キッチンの照明はその狭さからするとちょっと過大な気がする。部屋としてのキッチンに付けられたLED、ピンポイントに流しを照らす蛍光灯、そして換気扇にもライトがひとつ。

 

最近では、食事もそのままキッチンで済ます。コンロと流しの間、20センチもないそこにトレーを置いたら、ひとり暮らしの食卓の完成だ。沢山の小さな照明に照らされて、狭いキッチンにスツールを持ち込んでの夕餉。実家の父が見たら泣くだろうな、それくらい切なくて行儀が悪い。

 

でもやっぱりキッチンが好きなのよ。私に使いやすく配置された物たちが並ぶ、狭い城。これからも作る楽しみと食べる楽しみ、苦手だけど後片付けも、このキッチンと共に。

私の中学生の頃の話 #8月31日の夜に

Eテレにて放送された #831日の夜に に寄せて。

 

中学生の頃が人生でいちばん最悪でした。もうあまり思い出せないしやり直しすらしたくないです。家族にも話していない、硬いかさぶたの奥の話です。

 

中学生女子の 部活での いざこざのほこさきに私がいて(私が周りをイラつかせるからダメなんです。バスケ下手だし、眉毛も揃えてないし、先輩にも先生にも可愛がられないし、男子と話せない。元気よく話しかけられない。)

 

今思い出しても 本当に残念な毎日でした。折れてはいけないと、顔を強張らせながら体育館に入って行く。チームメイトから無視される。バスケも下手くそ。でも夏休みは毎日部活。毎日無視される。明日も部活。

 

学校が価値観の全部だった

私には何の価値も無かった

 

 

このときの居場所の無さが圧倒的に今の私を構成しています。

 

 

私は我慢強くなりすぎました。自分の辛い気持ち、あの毎日が最悪だとわかりつつも、逃げ出せない鈍さ。というか逃げるって何?どこへ?普段の生活の中で直面する嫌な言葉、嫌な気持ち、行きたくない飲み会、嫌いな人、そういうものも乗り越えないといけないと思ってしまいます。強く在らねばと。

 

全然、乗り越えなくてよいと最近ようやく思うようになりました。電車の中にうるさいカップルがいて不愉快でも、イヤホンして好きな音楽聴いてればいいし、キラキラばかり目に入って自分がみすぼらしく思える都会の人混みの中では下を向いて歩けばいい。大発明です。行きたくない飲み会も嘘をついて断るようになりました。やっと中学からの呪いが解け始めました。

 

 

私は一生許せません。

今、そういう思いをしている子たちが少なからずいることを思うと胸が苦しい。今苦しんでいる人に、「将来いい経験だったと思えるよ」なんて言えません。私は結局和解しないまま卒業して、何も腑に落ちてないし。今も呪いにかかってるし。

 

しかし、

晴れた日に気持ちよく太陽を浴びたり

できたてのご飯を誰かが作ってくれたり

気兼ねなくお酒を飲みまくったり

長年聴きたかった曲をライブで聴けたり

深夜ラジオの話をし合ったり

廊下ですれ違うときに笑顔で会釈されたり

知らない町の盆踊りに飛び入り参加してみたり

めっちゃ楽しくて幸せなことが

大人になってからあったので、驚きです。

 

人生にはいろんな種類の楽しみがありますね。バスケが下手くそでも、生きてていいんだよって、中学生の自分に分からせてあげたい。弱音を吐ける相手になって共感してあげたい。無意識にこわばっていた身体を柔らかくしてあげたい。

 

 

いま悲しんでいる誰かを励ますほどのことは出来ないけど、人生を手放したりせず28歳になった自分のことを、褒めちぎってあげたいです。

無題

ずっと何気なくそばにあったものが、人生の途中で突然価値を持って輝き始めた。

 

 

何があったかというと、漫画「名探偵コナン」にハマったのだ。

 

何気なくそばにあった、というのは漫画本が家にあったということではない。私の地元・鳥取県は、コナンの作者青山剛昌先生の故郷で、私が物心ついた頃には鳥取はコナンでの町おこしをガンガンに行なっていた。私はふーんと思いながら気にも留めず生活をして、高校卒業と同時に県外に出た。

 

それが何だ!ここ半年で映画と漫画でコナンにハマり、急に地元が聖地になってしまった。いや、元々聖地だったんだけど、私にとっての聖地が地元になったというか…急に聖地になって…パーン!(破裂)

 

小学生の頃、子どものいる家庭に配られた地域振興券なるもの、ご当地の絵柄が各県で入っていたが、アレもコナン君の絵柄だった。学校の図書館にはコナンの漫画本があった。帰省するときに必ず使う鳥取コナン空港、等身大フィギュアだけでなく作中に登場する喫茶店「ポアロ」まであった。

 

全部横目でスルーして生きてきたけど、地元めっちゃコナンの聖地ですやん…

 

ハマってからもう2回帰省して、「青山剛昌ふるさと館」(原画やポスターや先生がシャアのコスプレしてる写真やらが飾られている)にも行った。帰省するから行くのか、行きたいから帰省しているのか、もうよくわからないよ。

 

コナンが末永く続きますように…!
青山先生がずっとお元気で漫画を描けますように…!

楽しいこといっぱいあるといいね、全国転勤

前に音楽フェスに行った話をブログに書いたが、ここ4年毎年「ロックインジャパン」という国内最大級の音楽フェスに行っている。

 

ここ4年というのも、転勤で茨城に住み始めたのが4年前だからだ。今年で5回目のロッキン、でももう、その頃には茨城に住んでいないと思う。私もそろそろ異動しそうです。

 

===

元々音楽は好きで、ただフェスとかそういう浮ついたもの(偏見)が苦手というか、ファッション感覚が強くて胡散臭いなあ(偏見)と思っていたのですが、行ってみたらまあ楽しかった。

 

好きなバンドを見るのも楽しいんだけど、何の気なしに見て心惹かれてハマるバンドが毎年ある。

 

2017年はB’z。高校の頃からベストアルバムをずっと聴いてて、聴きたかった「ZERO」はやらず。。ただライブはやっぱり圧巻で、珍しがって見に来たグラスのお客さんもどんどん引き込まれていって、一曲目の「さまよえる蒼い弾丸」が終わった後の客席のどよめきが物語ってた。バンドの音の厚みとか、稲葉さんの声に呼び覚まされる感じというか…凄すぎて笑っちゃうくらい。忘れられなくてpleasureツアーに申し込んでは落選している日々。あーライブ行きたい。

 

2015年はアカシック。名前をよく見るから聴いてみようかな〜くらいの気持ちだったけど、リハでやってた「女」て曲にどハマりして、2015年はずっとアカシック聴いてたな…

 

最初に行った2014年は、フォレストのトリで女王蜂が演奏してるのを耳で聴きながら、横のフードエリアで汁なし坦々麺にむせてた。アヴちゃんの声がすごくて、ステージ見たらビジュアルもすごくて、なんじゃこりゃ…って度肝を抜かれた記憶。少し時間を経て2017年にどハマりし、年末のアヴちゃん生誕祭で羽根扇振ってきた。あー最高。

 

 

たまたま茨城に転勤したのがきっかけで、いい音楽楽しい気持ちになれて、ラッキーだったなあって思う最近です。ほらみんなも茨城に住みなよ!っていう話ではないけど、私は次の異動先でも巡り合わせに助けてもらって楽しく生活したいと思っております。

 

(もう全国転勤しんどい)

いまさら「スノーデン」を見てきた

 

なんか、自分の生活がガチでリアルに覗かれている(かもしれない)という事実に現実味が湧かない。彼女も言ってたけど、見られて何になるの?って感じた。

 

アメリカの場合は、最初はテロ対策だったはずの監視が肥大化していき、一般市民の生活まで見える人(政府)には見える状態になってしまっていて、見える人ばかりに情報があって秘密だらけになっていたと。

 

元の使用目的からズレてるのは、ダメだよなあと思う。あと、一部の人しか知り得ないことをして、得をしている人々が居るということも恐ろしい。

 

NHKクローズアップ現代のサイトに、今年放送のスノーデン特集の書き起こしがあって見てた。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3968/
プライバシーとセキュリティーのどちらを取るかは各国内で議論が分かれていて、監視ダメ!とするか、平和のためにはやむなしとするか、日本も選ばねばならぬ時期だとあった。

 

私が選んだところで何も変わらないと思うけど、、なんとなく監視されてても仕方ないのかなあと思ってたところはあり、後者よりかなあと思う。

 


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それにしても情報って不思議ですね。人はなぜ情報を欲しがるんですかね?確かに、相手のことを詳しく知ってると少し優位に立てる気がする。部内のあの人が異動するとか、人事情報は会社内でも聞いたりするけど、人事情報に詳しい人を目の当たりにすると私もちょっとひるむ。

 

人と人が社会的に関わる中で、情報は強い武器なんですね、、まあ書いてみたら当然のことだけど。

 

人類の初期とか、マンモス追ってたら情報は必要なかったのかな?…いや、「美味いマンモスはあの森にいるぞ!」とか知ってるやつがきっと皆を先導するんだろうな結局。で、重宝されて部族の長とかになる。魅力的な女性を侍らせる、部族に階級が発生してみなが長に取り入る、、、みたいな?

 

情報を持ってると優位に動けるわけですね。当たり前のことに行き着いただけどけど、まあ自分用メモなのでいいとしよう。

 

こんなどーでもいいブログも諜報されたりするのかな?

不思議!

豆とチェックボックス☑︎

 

ーー頭の中にチェックボックス◽︎
       いい事を選ぶとチェックが入ります☑︎

 

コンビニでお昼ご飯探していたらサラダがある。豆の乗ってるサラダがある。豆は体にいい。特に現代人の食生活では、豆の摂取無精になりがちだ。

 

ーー頭の中にチェックボックス◽︎

       無性に食べなければならない気持ちになる

 

味が好きで食べたい、というわけではない。漠然と、体にいい気がするから選んで食べている。

 

ーーチェックボックスにチェックを入れます☑︎

       済。

 

ふと思う。私は、いつに備えて豆を食べるのか。健康の本番はいつ来るのだろう?
チェックボックスが無くなり、豆を選ばなくていい時はいつ来るのだろう?その時にはもう、私はヨボヨボおばあちゃんなのではないか?


無意識の健康チェックボックスを捨てて、来週は合コンです。