普通の日常の一般的な毎日

29歳の暮らしなど

ハムスターのポエム

 

夜毎悔いている。その日のことをくちくちと。ピザとか風呂とか音楽とかお笑いとかで、隙間を埋めてから眠りにつくが、朝になるとまたほころび始めている。ほころんでは埋めて、埋めてはほころび、回し車をやるハムスターみたい。陳腐な虚しさから目を逸らして、忙しく都会ぶっているのが私だ。

 

今日は、風呂から上がってタオルでがしがしやりながら、早く帰りたいと呟いてしまった。この家には誰もいないのに、他人に聞かせるような乾いた笑いがこぼれた。

 

しかし当初の私は帰宅したくはなかった。こころは疲れているが足が軽く、往復20分のピザ屋まで遠回りの帰路を終えたところだった。ピザは想像を超えて大きく、下げて歩くと足に当たって不快なほどだった。手のひらサイズが8切れ。半分食べ終えるともう腹も気持ちもいっぱいで、乱高下していた神経も落ち着いたようだった。

 

私はいつも、いい子にしていた。叫ばないし暴れないし、きちんと帰宅するし、自ら機嫌をとって逃げ出さず、普通を生きていた。今夜も同じだった。ピザと音楽でほころびを埋めたら、どうあがいても朝が来てしまう。

 

眠れない。

「レターパックで現金送れは詐欺」(個人的美文の話)

 

2018年に見つけた私の好きな言葉・個人的美文について。

 

 

レターパックで現金送れは詐欺」
この言葉が好きだ。語感が好き。口に出すと最後までスルスルと繋がって、コロコロとした語感が楽しい。最後が「詐欺」と単語で言い切る形になっていることでメッセージ性が強められており、口に馴染むのに緊張感もある。(てきとう)レターパックの封筒の口の部分に書いてあるので、レターパックを買ったら採集できる美文。

 


「シミ予防、これがプレミアム処方」
小林製薬の「ケシミンクリームEX」のCM( https://m.youtube.com/watch?v=APOBcErmGSU# )末尾に流れるコピー。これも語感が良い。口に出すと楽しい。CM製作者はあえて韻を踏んでるんだろうなあ。忘れたくなくてずっと口ずさんでいたけど、CMが終わったらすぐに忘れた。口当たり良く後味が無いなんてシャーベット美文。

 


最後はちょっと毛色が違うけど
「あせらなくても大丈夫!」

f:id:yadayada:20181231075627j:image
バスに貼ってあったステッカー。バスが止まってから動けば大丈夫、という本来の意味はもちろん、なんか文字の優しさから日々に焦らなくても大丈夫だよっていうメッセージも感じます。ステッカー作った人がダブルミーニングを仕込んで、日々に疲れた人に向けても書いてくれてるんじゃないかと…そうだといいなって思って…(弱気)私には伝わっていますよ、な美文。

 

 

よいお年をお迎えください。

やっとクリスマスかよ

 

今日は12月24日。12月って世間はずっとクリスマスの雰囲気だよね。街を歩いていた4日前の12月20日、私はハッと気付いた。

 

 

まだクリスマスじゃないのかよ!!

 

 

特に、初めて東京で迎えた12月だったこともあって、どこに行ってもツリーがキラキラしていて、電飾が並木を覆い、サンタ帽を被せられレジを打つ店員…が視界の端にあり続けた20日間。

クリスマスには食傷気味だから、そろそろ別のものが見たい…「クリスマスなんていらない」論争もあるが、「クリスマスムードもっと短くてもいいんじゃないか」論争もあれよ。

と考えて帰宅し、ふと家族にプレゼントしたいなと思った。何を隠そう私はプレゼントが大好きなのだ。家族には帰省する時に都会に売られているおしゃれなお菓子を買ったり、お揃いで靴下を贈ったり。楽しいよね。クリスマスだから、かこつけてプレゼントが出来る!

 

そう思って色々見繕い、家族の女性陣(祖母と母)には無印良品でパジャマを、男性陣(父と弟)にはネクタイを、そして家族で遊べるようにボードゲームも購入。したのが12月22日。

 

 

まだクリスマスじゃないのかよ!!!!

 

 

早く渡したり遊んだりしたいのに!ムードを作って購買意欲まで掻き立てといて何なの!!ムード作ってから長過ぎるんだよ!!

 

そして今日は12月24日。商店街ではサンタっぽい人達が餅をついていた。
やっとクリスマスだよ。

毎日マクドナルドのことを考えている

朝起きて支度したり家を出る頃に「今日こそマクドナルドを食べよう、食べたい!」という強い意志が現れる。

 

ポテトはもちろんLサイズ。できればLサイズを2つ食べたい。あれは美味しすぎる…へその緒から摂取してたのか?てくらい抗えない旨味。肝心のバーガーは悩むけどダブルチーズバーガー。ピクルス多めで、と伝えるとレジの外国人のお姉さんがわかってるね、みたいな顔してくれる。"ダブルチーズ"と言いつつも重すぎなくてペロっと食べられるところがいい。

 

こんなに大好きなマクドナルド。迎え撃つ私もベストな状態を整えて食べたい。イートインならすぐ食べられる。でも店はざわざわしている。優しい価格設定が仇になっている…痛し痒しである。テイクアウトするか?いやポテトが冷める。この前なんて冷めていくポテトを見過ごせずに、帰り道で食べ切ってしまったじゃないか。落ち着いて味わいたいのに。

 

今日も結局、スーパーに寄って帰って自炊コースだ。毎日それの繰り返し。マクドナルドを食べたい、その強い気持ちに追いつかない私の住環境(というほどでもないけど)。今日もポテトが歯に挟まったように歯がゆい。

キッチンが好きだ。

 

都内の1Kのキッチンなんて高が知れている。横幅1メートルの右半分がコンロ、左半分が流しになっていて、その狭さを縫って調味料や洗い物カゴを配置している。コンロを背にすると冷蔵庫と洗濯機がある。洗濯機はフタをしめておいて、切った野菜を置き、炊いたご飯を冷凍前に冷まし、ケトルでお湯を沸かす場所に丁度いい。存在はアンマッチだけど、役割を果たしてキッチンに馴染んでいる。

 

流し下の収納はがらんどうだったので、機能性を持たせる必要があった。棚を入れて、カゴを入れて、そしてようやく鍋やらザルやら食器やらを仕舞った。引っ越してから少しずつ、買い足して配置し直して今のキッチンがある。

 

どこの家の作りもそうだと思うが、キッチンの照明はその狭さからするとちょっと過大な気がする。部屋としてのキッチンに付けられたLED、ピンポイントに流しを照らす蛍光灯、そして換気扇にもライトがひとつ。

 

最近では、食事もそのままキッチンで済ます。コンロと流しの間、20センチもないそこにトレーを置いたら、ひとり暮らしの食卓の完成だ。沢山の小さな照明に照らされて、狭いキッチンにスツールを持ち込んでの夕餉。実家の父が見たら泣くだろうな、それくらい切なくて行儀が悪い。

 

でもやっぱりキッチンが好きなのよ。私に使いやすく配置された物たちが並ぶ、狭い城。これからも作る楽しみと食べる楽しみ、苦手だけど後片付けも、このキッチンと共に。

楽しいこといっぱいあるといいね、全国転勤

前に音楽フェスに行った話をブログに書いたが、ここ4年毎年「ロックインジャパン」という国内最大級の音楽フェスに行っている。

 

ここ4年というのも、転勤で茨城に住み始めたのが4年前だからだ。今年で5回目のロッキン、でももう、その頃には茨城に住んでいないと思う。私もそろそろ異動しそうです。

 

===

元々音楽は好きで、ただフェスとかそういう浮ついたもの(偏見)が苦手というか、ファッション感覚が強くて胡散臭いなあ(偏見)と思っていたのですが、行ってみたらまあ楽しかった。

 

好きなバンドを見るのも楽しいんだけど、何の気なしに見て心惹かれてハマるバンドが毎年ある。

 

2017年はB’z。高校の頃からベストアルバムをずっと聴いてて、聴きたかった「ZERO」はやらず。。ただライブはやっぱり圧巻で、珍しがって見に来たグラスのお客さんもどんどん引き込まれていって、一曲目の「さまよえる蒼い弾丸」が終わった後の客席のどよめきが物語ってた。バンドの音の厚みとか、稲葉さんの声に呼び覚まされる感じというか…凄すぎて笑っちゃうくらい。忘れられなくてpleasureツアーに申し込んでは落選している日々。あーライブ行きたい。

 

2015年はアカシック。名前をよく見るから聴いてみようかな〜くらいの気持ちだったけど、リハでやってた「女」て曲にどハマりして、2015年はずっとアカシック聴いてたな…

 

最初に行った2014年は、フォレストのトリで女王蜂が演奏してるのを耳で聴きながら、横のフードエリアで汁なし坦々麺にむせてた。アヴちゃんの声がすごくて、ステージ見たらビジュアルもすごくて、なんじゃこりゃ…って度肝を抜かれた記憶。少し時間を経て2017年にどハマりし、年末のアヴちゃん生誕祭で羽根扇振ってきた。あー最高。

 

 

たまたま茨城に転勤したのがきっかけで、いい音楽楽しい気持ちになれて、ラッキーだったなあって思う最近です。ほらみんなも茨城に住みなよ!っていう話ではないけど、私は次の異動先でも巡り合わせに助けてもらって楽しく生活したいと思っております。

 

(もう全国転勤しんどい)

いまさら「スノーデン」を見てきた

 

なんか、自分の生活がガチでリアルに覗かれている(かもしれない)という事実に現実味が湧かない。彼女も言ってたけど、見られて何になるの?って感じた。

 

アメリカの場合は、最初はテロ対策だったはずの監視が肥大化していき、一般市民の生活まで見える人(政府)には見える状態になってしまっていて、見える人ばかりに情報があって秘密だらけになっていたと。

 

元の使用目的からズレてるのは、ダメだよなあと思う。あと、一部の人しか知り得ないことをして、得をしている人々が居るということも恐ろしい。

 

NHKクローズアップ現代のサイトに、今年放送のスノーデン特集の書き起こしがあって見てた。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3968/
プライバシーとセキュリティーのどちらを取るかは各国内で議論が分かれていて、監視ダメ!とするか、平和のためにはやむなしとするか、日本も選ばねばならぬ時期だとあった。

 

私が選んだところで何も変わらないと思うけど、、なんとなく監視されてても仕方ないのかなあと思ってたところはあり、後者よりかなあと思う。

 


###
それにしても情報って不思議ですね。人はなぜ情報を欲しがるんですかね?確かに、相手のことを詳しく知ってると少し優位に立てる気がする。部内のあの人が異動するとか、人事情報は会社内でも聞いたりするけど、人事情報に詳しい人を目の当たりにすると私もちょっとひるむ。

 

人と人が社会的に関わる中で、情報は強い武器なんですね、、まあ書いてみたら当然のことだけど。

 

人類の初期とか、マンモス追ってたら情報は必要なかったのかな?…いや、「美味いマンモスはあの森にいるぞ!」とか知ってるやつがきっと皆を先導するんだろうな結局。で、重宝されて部族の長とかになる。魅力的な女性を侍らせる、部族に階級が発生してみなが長に取り入る、、、みたいな?

 

情報を持ってると優位に動けるわけですね。当たり前のことに行き着いただけどけど、まあ自分用メモなのでいいとしよう。

 

こんなどーでもいいブログも諜報されたりするのかな?

不思議!